自分をオーバーホールするなら
地方の“非・専門サウナ”こそ
うってつけだという話
「ととのう」とは何なのか?
最近、サウナの中でよく考える(僕はそれをサウナ哲学=サウ哲と呼称している)。
体を温め、水風呂で冷やし、椅子に座ってボーっとする。
それを数度繰り返すことで、心身ともに安らぎを得られること。
自律神経のリセット、交感神経の活性化をともなうとされる究極のリラックス。
それが「ととのう」の一般的な定義だろう。

とはいえ、僕と他者の「ととのう」が同じだと言い切るのは難しい。
他者同士が感覚を100%共有することはできないからだ。
仮に脈拍や体温、脳波の数値なりが近かったとしても、隣のあの人はもっと先の快楽あるいは解脱の境地に達している可能性は十二分にある。

余談だが、高校生のとき胸部に違和感をおぼえて病院へ行ったことがある。
医師から「ズキズキする? それともシクシクする?」と問われたので「いえ、ムラムラします」と答えると、女性看護師さんが「ぶふッ!」と吹き出してしまった。

決してふざけたわけではない。
正確に症状を擬音にして伝えたつもりだが、彼女からすれば僕はスケベすぎて病院を訪れた大変人に映ったことだろう。
キモがらしてすみません。
余談すぎて申し訳なかったが、どれだけ擬音や言葉を用いたとて自分と自分以外が状態を正しく共有するのは、かように難しい。

本当の意味での「ととのう」を僕は味わえているのだろうか。
そればかりを考えていたある日、「ととのう」の認識を改める出来事があった。
4月中旬、僕は旭川にいた。
退院後、歩行のリハビリをがんばっている義母と、それをサポートしている妻に会うためだ。
旭川駅に到着すると、妻が迎えてくれた。

慣れぬサポート生活で心身ともに疲れているだろうにそんな素振りは見せず、満面の笑顔で大きく手を振ってくれていた。
妻の実家にて義母と久々の対面。
リハビリや体操で消耗しているのは明らかなのに、立って、歩いて、僕の所まで来てくれた。
僕は人に恵まれている。心からそのことを実感する。
夕食は3人で手巻き寿司を食べ、風呂は少し歩いたところにある銭湯「湯らん銭」へ行くことになった。
北海道らしくとても大きな施設で、家族風呂は10個もあり、一人でも複数人でも楽しめる地元の憩いの場だ。
大浴場は大人490円。どのお風呂も別府温泉の天然エキス入りで、美肌の効果が期待できるらしい。

旭川の夜道はまだあちこちに雪が残って肌寒く、早くサウナに入りたいと気持ちが急いてくる。
「湯らん銭」に到着。
受付の女性に聞くと、サウナは追加料金がかからないという。
事前に調べたところでは、プラス100円ということだったが……。

「別料金を取るようになったら、お客さんがごっそり減っちゃったんですよ。それであわてて無しにしたんですよね」
そう言って、アハハと明るく笑う。僕の顔も思わずほころぶ。
ロビーにはジュースやソフトクリームの売店があり、お座敷で食事もできる。
カレーやそば、オムライスがどれも500~600円と激安だ。
まだ少し髪の濡れた女学生さんたちが、おしゃべりをしならが食事をし、おじさんがビールグラスを傾けている。
そのリラックスした姿に心が和む。

さて、銭湯サウナでは、まず風呂を楽しむのが僕のスタイルだ。
高温と低温がある超音波風呂、体を横たえてじっくりと楽しむマッサージ風呂、爽やかな香りがたまらない檜風呂、そして定番のジャグジー風呂など。
多種多様なタイプがあるのも嬉しいが、水色タイルのレトロな風合いがまたたまらない。
近年、音楽やファッションなど若者の間で昭和懐古が盛り上がっているが、ぜひ、この店を訪れてガチの昭和レトロを味わってほしい。
風呂を一通り堪能したら、ひとつだけあるサウナ室へ。
昔ながらのベーシックなドライサウナで、90℃という温度も実になじみが良い。

この日は平日とあってか、一人だけの貸し切り状態。
「くぅ~!」とかわざとらしくうめき声を上げながら、たっぷりと汗を放出する。
十分に温まったら水風呂へ。
水温は15℃くらい。体感的にはもう少し上に思えたのは、水質がまろやかに感じられたせいだろう。
全身を冷やしていると、浴室にあるドアから人が行き来しているのが見える。
なんだろうと興味をそそられ、水風呂を出てそのドアを開ける。
するとそこには露天風呂。男が数人入れる程度の広さで、その脇に椅子が置いてある。
僕は外気浴に目がない。ほくほく顔で椅子に座り、首をカクンと後ろに倒す。
北海道の夜の冷気に身を当てる。
露天風呂の水音を聞きながら、「ととのい」の体勢に入る。

僕にはととのいやすい状況が明確にある。
まずサウナは高温が良い。
それも、毛穴から汗と一緒に垢が押し出されるような、とびっきりの超高温だ。
その後、シングルの水風呂で急速冷却されてから、リクライニングのきいた椅子でリラックス。
これを2、3セット回せば、まずととのうことができる。
だが、この日は状況が違う。
超高温のサウナも、シングルの水風呂もない。
ところが、である。
結論から言うと、ととのうことができた。
それも、1セット目で。あっさりと。

なぜか。
その理由はもうわかっていた。
サウナに入る前から、半分ととのっていたからだ。
自分の苦労を見せず僕を労ってくれる家族、飾り気なく胸襟を開いてくれる旭川の人々、レトロな施設がもたらすエモさ(=郷愁)。
温かなものに触れ続けた心にサウナの気持ちよさがプラスされることで、通常よりずっと早くととのうことができたのだ。

上腕の裏側を見る。
ととのう時に見られる赤い斑点「あまみ」が、今日は無い。
脈拍や脳波の数値を計ったら、一般的にいう「ととのう」とは違う状態かもしれない。
それでも、僕は自分がととのったと言い切れる。
他者と比べるまでもなく、これこそが「ととのい」だと断言できる。
僕の全身を包み込む深い安らぎと多幸感が、尋常ではなかったからだ。
こんな感覚、そうそう味わえるものじゃない。
サウナはいつも最高だけど、今夜はさすがに最高すぎた。
僕はこれまでストレスを感じたときや疲れたときにサウナを利用することが多かったが、今後は良いことがあったときにもサウナへ行ってみよう。

幸せや充実感、優しい気持ちのブーストによって、もっと深く、もっと芯までととのうことができるだろう。
「熱」ではなく「人」でもととのうことができた旭川の夜。
僕は満足感に浸りながら、家路へつく。
明日は同じく旭川の「高砂温泉」へ行ってみよう。
白い息を吐き出しながら、妻と並んで義母の待つ家へと帰った。
文/ホク山ホク
写真/PIXTA